2015年11月1日日曜日

男性名詞、女性名詞、中性名詞ってなに?

多言語学習をやろうと思ってこれまでせっせせっせとNHKのラジオやテレビの語学講座を録りためて一応教材はひととおり揃いました。

録音・録画した講座は英語以外の講座、中国語、韓国語、アラビア語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語、ドイツ語です。一気に学習するのは難しいのでまず韓国語とスペイン語を中心にやっています。少しづつ私の語学学習について発信していきたいと思います。

さて、今日は名詞の「性」について。

私は大学時代、語学の授業は、ドイツ語と英語をとっていました。英語になくてドイツ語にあるもの、そのひとつが名詞の「性」です。ドイツ語の名詞は「男性名詞」「女性名詞」「中性名詞」の3つに分かれています。そして名詞にくっつく冠詞も名詞の種類によって決まっています。例えば次のような感じです。

男性名詞  der Wagen (車) 女性名詞 die Schule (学校) 中性名詞  das Zimmer (部屋)

ですからドイツ語を習得しようと思ったら名詞の「男性」「女性」「中性」を覚えなければなりません。


名詞の「性」についてどのように考えたらよいのか、福本義憲著「はじめてのドイツ語」(講談社現代新書)を引用したいと思います。
ドイツ語を学び始めて戸惑うことの1つに、「名詞の性」があります。英語では「性」といえば、もっぱら人称代名詞のhe、sheが問題になるぐらいで、それも「自然の性」、つまり「男」か「女」かの区別に限られています。特別な「擬人化」の場合を除いて、名詞に「性別」があるというのは、英語では考えられないことですし、それは私たちにとっても同様です。
→はいはい、そうですね。英語では名詞の「性」を考えることはほとんどありませんでした。
しかし、「名詞の性」をもたない英語や日本語は、じつは世界の言語から見れば、必ずしも多数派というわけではないのです。
→ははあ、名詞の「性」を持たないという点で英語は少数派なんだ。中学生になりたての私がはじめて学び始めた英語。日本語と全然違う。カルチャーショックでした。そして、英語というのは世界の代表的な言語となぜか錯覚してしまいそうでした。でも名詞の「性」のことひとつとっても英語は少数派なんだということがわかります。
「名詞の性」というのは、要するに名詞が何種類かのグループに分かれているということです。ですから、別に「性」という言葉を使わないで、たとえば、1類名詞・2類名詞・3類名詞とか、A類名詞・B類名詞・C類名詞と名づけても、いっこうにかまわないのです。
→そうかそうか、名詞の「性」というのは、名詞のグループ分けか。なるほどなるほど。
ただ、ヨーロッパの言語ではこのグループ分けを、伝統的に「男性」「女性」「中性」と呼んでいます。ドイツ語は、このヨーロッパの言語の伝統的な名詞の3分法を受け継いでいます。つまり、「男性名詞」「女性名詞」「中性名詞」があります。「名詞の性」はドイツ語の文法の中にがっしりと組み込まれていて、文法的にたいへん重要な役割を果たしているのです。
→ 名詞とは別の話になりますが、私がまだ小学校にあがる前、クレヨンの色を「男の色」「女の色」と自分で決めていたことがあります。その時「黄色は男の色」と私はグループ分けしたのですが、隣の家の女の子は「黄色は女の色」と主張してゆずりませんでした。今思えばほほえましい思い出ですが、私なりにグループ化を行なっていたわけです。ところで、「名詞の色」の実際の「性」は、実際にはどういうグループ化になっているのでしょうか、興味深いところです。

小林標著「ラテン語の世界」 (中公新書)にも名詞の「性」のことが書かれています。
ラテン語名詞は男性、女性、中性の3種に分類されている。名詞を形容する形容詞は、この性の区別に従って形を変えるのが原則だから、やはり3種の性の形がある。「偉大なる父」は magnuspater、「偉大なる母」はmagnamater、「偉大なる帝国」は magnumimperium となる。ドイツ語、ロシア語にもこの三つの性がある。フランス語、スペイン語、イタリア語は男性、女性のみで、英語には性の区別はない。日本語にも、もちろんそれと同種の性の概念はない。
→さきほどは名詞の「性」によって、冠詞が変わると言ってけど、ラテン語は形容詞も変わるということですね。さていま私が勉強を始めたスペイン語も名詞を形容する形容詞が「性」によって変化することは私も勉強しました。ただしスペイン語の名詞の「性」は男性、女性の2つだけです。「カサブランカ」というモロッコの都市がありますが、「カサ」は家で女性名詞、「ブランカ」は「白い」の女性形です。男性形は「ブランコ」、「カサブランカ」は「白い家」のことですね。
ところで、この「性」とはなにか。文法における「性」は英語ではジェンダー gender であり、生物学的性別を言う sex と直接的関係はないことはわかるだろう。それなのに、男性、女性というふうに、動物的性別の名称がついている。そして、「父」は男性名詞であり、「母」は女性名詞である。
「性」を持つ言語において、このように文法的性と生物学的性が大まかに一致することは普遍的に見られる現象だが、しかし本来的には両者は別物であった。だから、明らかな生物学的性が文法に反映しない例が少なからず見受けられるし、そもそも生物学的性とは無関係な事物でも文法においては性別されてしまうのである。
文法的「性」とは、要するに名詞をあらかじめいくつかの類に分類しておいて、それらの扱いになんらかの区別を設けること、それだけのことなのである。
それに類似した現象は世界の多くの言語に見られる。たとえば日本語で無生物は「ある」と言い,有生物は「いる」と言うが、要するにそれは主語の有生・無生の区別に従って存在の動詞を使い分けるということなのである。
→ここでもさきほどの「はじめてのドイツ語」と同様のことが書かれています。
ラテン語を含む言語の祖先、印欧祖語においては、この有生・無生の区別が元来の類別であったろうと考えられている。その有生のほうが動物の性の類推からさらに2種(男性、女性)に分けられ、残された無生が中性となったのが、ラテン語、ギリシア語、サンスクリット、ドイツ語、古代英語などの3分類法である。ラテン語の子孫はそれをふたたび2類別に戻したが、そのさい中性のほうが男性に吸収されてしまったのであった。英語は14世紀には性の区別を失っていた
→名詞の「性」はこのようにして生まれてきたんですね。そうか、スペイン語では男性名詞に中性名詞が吸収されてしまったんですか。そして英語にも昔は「性」の区別があったんですね。

さて、名詞の「性」については、さらに面白いことを発見したので、別の機会にお知らせすることにします。

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