2015年11月20日金曜日

函館市恵山郷土資料館が廃止になる?

「恵山郷土博物館廃止へ」の記事

写真は北海道新聞10月29日付函館のページに掲載された「恵山郷土博物館廃止へ」の記事です。
「函館市は恵山地区の続縄文時代の土器などを展示する函館市恵山郷土博物館(柏野町)を本年度末で廃止する。施設の老朽化が進んでいるため。収蔵物の一部は廃止後、えさん小で展示する」という内容です。
私はこの記事を読んでとても残念に思いました。というのは、9月8日に恵山に行き、道の駅「なとわ・えさん」でちょっと休憩し、お目当ての恵山郷土資料館の場所を確認しようと検索をしたら「通年休館」となってがっかりし、次に開館するのはいつだろうと心待ちにしていたからです。



恵山郷土資料館に行きたかった理由

この郷土資料館に行きたかったのは、桑原真人・川上淳著『北海道の歴史がわかる本』(亜瑠西社)を読んだからです。

北海道の続縄文文化前期は4つの分化、地域別には①道南の恵山文化、②石狩低地帯の江別(太)文化、③知床から北方の宇津内文化、④道東太平洋岸の興津・下田ノ沢文化に分けられるということが紹介されています。

私が住む函館の「恵山」という地名が文化の名前になっている、こんな感激なことはありません。

そして「恵山文化」ついて次のような説明がされています。
恵山文化は、本州の弥生的文化の影響を強く受けながら、北海道東北部の土着文化の影響もあり、両者の要素を取り入れて成立していた。稲作栽培は行わなかったが、そこに見られる弥生的な文化要素を考えると、弥生文化に入れて良いのではという議論も生まれている。
また、貝塚が多く残ることや、釣針、銛などの漁労具が出土していることから、恵山文化は海に依存する文化だったと思われる。 
『北海道の歴史がわかる本』から


























続縄文時代ってなに?

さて続縄文時代ですが、さきほどの『北海道の歴史がわかる本』から引用してみたいと思います。
日本史と北海道史を比べてみると、古い時代(旧石器・縄文)と新しい時代(明治・大正・昭和・平成)については、ほば同じ区分でくくることができる。
これは、北海道がアイヌ民族の居住地であったことに深く関係する。この間、本州など周辺地域の影響を受けながらも、アイヌ民族が独自の歴史を刻んだことで、北海道の歴史は本州と異なった形で発展していったのである。
しかし、日本史の弥生時代から江戸時代にかけては、発展の仕方が北海道と大きく異なるため、同じ時代区分で表すことは難しい。
きて、考古学における北海道文化全体の時代区分は、おおよそ前ページの図(下の写真)「北海道と本州における時代・文化の違い」のように考えられている。
本州とは時間的にややずれるが、縄文文化の次に続縄文文化、オホーツク文化、そして擦文文化、アイヌ文化へと移り変わっていく。
北海道の縄文時代は本州よりやや長く続いたと考えられ、紀元前後頃に「続縄文文化」へと移り変わっている。
本州では大陸からの米の伝播により弥生文化が栄えるが、稲作文化は北海道へ到達せず、土器も縄文の文様がつけられていた。これを続縄文土器と呼び、この時代から北海道は独自の文化形成の道を辿ることになる。
また、続縄文文化も、地域的な相違や時間的な変遷を経て、奈良時代ころまで続いたようだ。






















さて函館市恵山郷土資料館の廃止は、12月定例議会で条例の廃止が予定されているらしいが、こういう歴史を大切に受け継ぐにはどうしたらよいのかをしっかり議論してほしいと願っています。

0 件のコメント:

コメントを投稿