2015年12月12日土曜日

「花燃ゆ」を見て-西南戦争での捕縛された士族の扱い 群馬と北海道

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」も最終盤に入っていますが、第46話を見て感心してしまいました。

吉田松陰の友人であり、松陰の妹の美和(井上真央)の義兄である楫取(下の名前忘れました、大沢たかお)は、群馬の県令になっていました。

第46話では、明治政府は西南戦争で捕縛された国事犯を各都道府県に労役として就かせるという知らせが届き群馬でも87名の国事犯を受け入れることに。


楫取は国に反旗を翻した者だが、かつては国を変えたい思いで戦った武士たちだと言って、労役につかせるだけではなく、刑期を終えたあと、彼らが職が持てるよう未来に夢を持てるようにすることが大切だとして、彼らに生糸などの知識や技量を学ばせる場所を与えてあげてほしいと頼みます。(NHK大河ドラマ『花燃ゆ』 あらすじ&感想&ネタバレを参考にしました)

これが本当の史実だとすれば、すごいことだと思います。

北海道に連れてこられた囚人たちはどうなったでしょうか。9月に北見に行ったとき、時間の合間を見て北網圏北見文化センターの博物館に行った時、目にとまったパネル(張り紙?)にこんなのがありました。写真の字が光って読みにくいのですが、関係部分を抜粋します。


北海道開拓と強制労働
北海道は近世まで「蝦夷地」 と呼ばれ、本州などに比べ人口も少なく、寒冷な気候もあってほとんど手のつけられていない土地でした。
江戸時代に入り、松前藩や幕府、場所請負人による沿岸部での漁業を中心とした開発が行われ、明治時代以降になると、千島・樺太を含む全道で、本格的な開拓事業が進められていきました。
道路・鉄道や治水・発電・港湾工事などの社会基盤整備、鉱山開発・工場建設や農業土木工事などの産業振興は、この開拓事業の根幹をなすものとして行われました。
これらの工事現場では、多くの労働力を必要としましたが、その確保の方法、稼働状況にはさまざまな劣悪・苛酷な勧誘、労働環境による『強制労働』が存在していました。
北海道の今日ある姿の礎には、これら強制労働に従事させられた人々がいることを忘れることができません。
そして、北海道で行なわれた強制労働形態として、アイヌ人強制労働、囚人労働、タコ労働、外国人労働の4つの形態を説明しています。
囚人労働については、1881年(明治14年)以降、囚人は北海道開拓の労働力として道内の集治監に送り込まれた。外役労働は懲役刑のひとつであったが、実態は開拓・拓殖のための使い捨て労働力の扱いであった。鉱山・炭鉱採掘、道路開削や開墾作業等に従事させられた。

酷使の実態への批判や国営事業展開の限界もあり、明治20年代末に廃止されたが、その後も臨時・応急的な工事での出役がみられた。

北海道には5つの集治監がありました。樺戸集治監(現月形町)、空知集治監(現三笠市)、釧路集治監(現標茶町)、釧路集治監網走文監(現網走市)、北海道集治監十勝分監(現帯広市)、全国8か所の内、5か所が北海道にあったのです。

私は5つのうち十勝をのぞく4つの集治監の博物館や資料館を訪れましたが、「ひどいもんだ」と思ってましたので、「花燃ゆ」をみてすごいことだと感心したわけです。

追記
以前ブログで網走監獄について書いたことがあります。そこでは網走監獄に治安維持法違反で無期懲役の判決を受けた日本共産党の宮本顕治氏のことをテーマにしていたので囚人労働のことについては書きませんでした。

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