2015年12月27日日曜日

「共産党アレルギー」 -私はこう考えます。

私は共産党の公認候補として5回選挙に出ました。2回は衆議院北海道8区候補として、3回は函館市議会選挙の候補としてです。3度の市議選では当選し、衆議院選挙では落選しました。

最初の選挙、1996年の衆議院選挙のとき、ある新聞社の取材を受けました。「こういうことを聞きたい」という項目が書かれた紙が事前に渡されました。その時、インタビューする記者への注意書きも間違って混じっていました。そこには「共産党の候補者はみんな同じようなことをいうのでその人らしさをひきだしてください」的なことが書かれていました。

たしかに共産党は、みんなで議論をして方針や政策を確立したら、候補者はみんなその政策を語ります。それが有権者に対する責任だからです。しかしその語り方が紋切り型であったりして「共産党の候補者はみんな同じようなことをいう」という印象を持たれていたのかもしれません。

さて、ここで話は変わります。

戦争法(安保法制)が成立したその翌日、共産党は国民連合政府をつくろうという呼びかけを発表しました。

戦争法は通っちゃった。でもこのままでは終わらせないゾ。戦争法(安保法制)を廃止しよう、そのもとになった集団的自衛権容認の閣議決定も取り消そう、そして日本の国の民主主義や平和主義や立憲主義を取り戻すゾ、そのために、戦争法に反対した野党が力を合わせて政府をつくろう、選挙協力をやろうという呼びかけです。

国民連合政府の呼びかけは、多くの人に歓迎されています。私も実現のためにがんばりたいと思います。同時に、野党が協力するうえで、野党や市民の中に「共産党アレルギーがあるのでは?」という声もあります。

市民の中には、「革命って怖い」とか「(共産党が一緒にやれば)保守票が逃げる」とか「旧ソ連や中国と重なる」とか、そういう誤解もあります。でもその誤解は解けばいいのであって、誤解とは次元の違う「アレルギー」があるのかもしれません。

そのヒントとなることを「しんぶん赤旗」日曜版の11月29日号、劇作家・演出家の平田オリザさんのインタビューの中にみつけました。彼はこういっています。
共産党には自分だけが正義だという主張ではなく、しがらみのために声を上げられない人たちに対しても、ぜひ信頼と連帯の気持ちを持ってほしい。
「自分だけが正義だという主張ではなく」というところ、なんとなくわかるような気がします。共産党の候補者というのは、政策に確信を持っているので、その訴えが「自分だけが正義」に聞こえることがあるのかなと。

ここで話は冒頭の私の体験に戻るのですが、 やはり共産党の候補者、そして党員は、自らの言葉で語ること、心から語ること、画一的でない魅力的な語りが必要なんだと思います。語りのしなやかさ、ひたむきさ、やさしさ・・・。言うは易し行うは難しですが。

志位委員長も、「共産党への拒否感を持つ人はまだいると思います。そこは私たちももっと努力が必要です」といっています。努力がどういうものなのかはわかりませんが、私の言ってることも入ってるだろうと思ってます。

もっとも、戦争法を廃止するためには他の野党のみなさんもアレルギーとか言ってられませんよね。民主主義か独裁かのわかれみちですから。

あの生活の党の小沢さんがうまいことをいってましたね。「『共産党と共闘するなんてけしからん』という人がいる。だけど、薩摩と長州が手を握ってはじめて明治維新ができたのです」と。

2 件のコメント:

  1. 共産党がさらに大きな、啓かれた組織となって力をつけてほしいと痛感します。確かに近頃の倍々ゲーム。喜び勇のはよくわかる。でも、この飛んでない、民主主義が土壇場の助教に追い詰められ、ファッショ政権による、何でありの暴挙が続く中で、もっともっと広範な人々を巻き込んで、運動の輪を壮大にひろげ無くては・・と思う。最近の共産党の、この状況に対する危機感からの、大きな戦術転換は大いに喜びを持って受け入れたいと思う。ただ、共産党に近く、十代の頃からの支持者の私としては、言いたい意見が山ほどある。共産党との対話がなかなか成立しない。一方的な、政策の宣伝になってしまって、一方通行だなあという思いが今も強いのです。国民を信頼し、国民の変革のエネルギー、平和や民主主義を死守しなくてはというエネルギーに依拠しなくては・・・。申し訳ないけれど、頑張ってはいるけれど、自分の言葉で、内発的なこころと、論理で対話の出来る議員さんがとても少ない。やっぱり紋切り型に聞こえてしまう。最終的な政策に従うにしても、それは、内からの本音によって紡がれた言葉との統合がないと・・・。各レベルでの議員さんはもとより、一般の党員の人とも、双方向の、本当の対話、コミュニケーションが欲しいと思うのです。自分が正しい・・という自己正当化の論理では、本当のコミュニケーションができないのです。私は、他党には、こんな言いずらいことは、決して言わない。行っても通じない。わからないと思っているから。でも共産党だけは、もっともっと啓かれて、大きく成長できる組織になってほしいのです。素直さ謙虚さを育てないと、人も組織も学ぶことも成長することもできないのです。国民の中に入って、自説を宣伝するだけではなく、大きな心、大きな耳を持って、国民の声を聞けないと・・・。自分たちが前衛、正しい、黙ってついてこい・・というのは、真の民主主義を育てる土壌とはなりえないと思うのです。

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    1. 元記事も、sachi0115228さんの記事も大変興味深く読ませていただきました。人間や、社会、歴史の瑞々しい息吹を感じます。言論・表現の自由っていいなぁとの思いです。自由に語ることが出来ます。そして未来をつくるエネルギーに。
      一介の主権者として思います。21世紀に到達している主権者は今特に「主権者としての自覚を持つ」、言い古るされている「タブーに囚われない」等ということも大切かと。よく「政治は俺に関係ねぇ。政治には近づかぬが無難、・・・」等と。
      しかし、主権者は歴史の主体として、己の命、暮らし、生業、自由、・・・を自ら切り開いて行かねば生存出来ないこの現実。一人ででもその成就が求めれられているこの政治的客観情勢。
      一人よりは二人、二人よりは・・・。当然の政治的力になります。まして共同できる「国民本位」の諸野党が存在しているこの現代!! 鬼に金棒。生きる確信が湧いて来ます。

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