2016年7月20日水曜日

『日本語を作った男 上田万年とその時代』を読んで

久々に分厚い本を読みました。500㌻を超える「日本語を作った男 上田万年とその時代」(山口謡司、集英社インターナショナル)です。

「日本語を作った?日本語なんてもともとあったじゃないか」と思ってしまいますが、明治期、日本語には標準語というものがなく、軍隊の中で隊長が「トツッギッ(突撃)!」と薩摩訛りで号令しても「今の号令、何のことか分かったかノ?」「ワダグス、分がんねがったもネ!」などと、井上ひさしが『國語元年』という戯曲で書いていたそうです。

明治時代はさらに、書き言葉と話し言葉が違っていて、おまけに仮名遣いも歴史的仮名遣いで書いた言葉と読みが一致しない状況だったんですね。

この本のタイトルに出てくる上田万年という男は、あまり知られていない人ですが、日本における言語学の草分け的な人で、言文一致の日本語を作ろうとした人物です。

この本は、だからといって上田万年の生涯や思想だけを書いているわけではなく、「日本語」に関わることをテーマに明治の日本の歴史を書いた大作といっていいかと思います。

仮名遣いをふくむ標準的な日本語が実現するのは結局は戦後に持ち越されるわけですが、石田万年という男は、言文一致の日本語、発音通りに表記する日本語をめざしていたとのこと。万年と同じ方向で文章を書いたのが夏目漱石で、言文一致の日本語に反対したのが森鴎外だったそうです。


ところで、この本の中で、筆者は森鴎外の主張だけでなく、その人となりをメッタギリしているのです。これ読むと森鴎外ギライになること間違いなしです。

私のような素人ではなく、ちゃんとした人が、北海道新聞に書評を載せていましたので、こっちを読んだ方がよくわかると思います。

北海道新聞(2016.4.3)掲載された田中綾氏(歌人・北海学園大教授)の書評
ときは明治のはじめ。当時の日本人は、まだ「日本語」という言葉さえ知らなかった。
そこに、言語学者上田万年が登場。ところが本書の著者は、「大した不幸もなく、大した栄誉もなかった人の名前は忘れられやすい」とため息をつく。いやいや、忘れられやすい存在かもしれないが、彼こそが「日本語を作った男の1人であり、夏目漱石の「日本語」を作った人物でもある、という周到な分析が、読みどころだ。
近代日本構築の二大柱は「兵役」と「学制」だった。各地域のばらばらの言葉のままでは、軍隊も教育もスムーズに進まない。だからこそ、統一した話し言葉の普及は急務でもあった。
上田は、東大でお雇い外国人チェンバレンに日本語の規則性を学び、海外留学後、母校で言語学を講じつつ、国語調査委員として表記法や仮名遣いを検討。とくに「発音」と「表記」の一致を目指し、1900年ごろから言文一致運動を推進した。
そんな上田の「文学」への関心が、本書では大きな伏線となっている。全編を貫くサブストーリーは、二大文豪・夏目漱石と森鴎外の「日本語」の違いなのである。
実は、漱石の文体こそが、上田が望んだ言文一致体であった。現在でも、読みやすい漱石の文体は、教科書を通じて若い世代に浸透している。対して、鴎外は歴史的仮名遣いに固執し、新仮名遣いを提案する上田にあらがったという。その結果なのか、現在、鴎外は若い世代にほとんど読まれていない。
そもそも漱石の小説が教科書に採用されたのも、上田やその一番弟子の国文学者芳賀矢一ら教科書調査委員会の力が少なくなかったことも明かされており、読み過ごせない裏話と思う。
17章立て、500ページを超える大冊だが、リズミカルな短文が続き、指はすぐにも次のページへと移ってゆく。エピソードも満載で、極め付きは上田の愛娘が作家円地文子ということ。漱石、そして円地作品もあわせて再読したくなってくる。

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