2016年12月16日金曜日

北星余市高校教育相談会 わが娘もパネルディスカッションのパネラーに


12月14日付の「しんぶん赤旗」東北・北海道のページに「北星余市高校 存続へ運動続く 閉校の危機救え、地域住民ひとつに」という記事が載っていました。存続運動の一環として全国各地で教育相談会などが開催されていることが紹介されています。(存続の危機がない時でもやっていましたが・・・)


私の住んでいる函館では、10月22日に北星余市高校と函館のPTA(パドレスの会)の共催で行われ、卒業生でもある私の娘がパネルディスカッションのパネラーとして、自分の思いを語りました。親が言うのもなんですが、よくまとまったいい発言だったと思います。本人の了承を得たので、娘が書いた原稿を紹介したいと思います。





【自己紹介】
本日は北星余市高校の教育相談会のパネルディスカッションのパネラーとしてお招きいただきましてありがとうございます。北星余市37期卒業の高橋旭です。

私が北星余市に通っていたのはもう10年以上も前のことです。北星余市を卒業後は札幌にある北星短大に進学しました。大学を卒業してからは名古屋でアパレル関係の仕事に就きショップ店員として働いていました。

その後22歳で娘を出産後シングルマザーとなりましたが、26歳のとき看護学校に入学しました。現在は函館市内の病院で看護師2年目として働いています。忙しい日々ですが子育て、仕事、プライベートと今は充実した毎日を送っています。

今日は少しでも多くの方に北星余市のことを知ってもらうきっかけになればという思いできました。また、今回パネラーとして呼んでいただいたことをきっかけに私自身も過去の自分と向き合ってみようと思っています。どうぞ、よろしくお願いします。

【北星余市に入学する前、どのような状態だったか。どうして北星余市に入学することになったのか】

小学生の時、ある日突然女子だけで話し合いをしたいということで、先生も入らないクラスの女子だけの話し合いがありました。私は自分には関係ないことだなと思っていたんですが、フタを開けてみたら私への文句や不満を言われる時間でした。私は全く身に覚えがなかったので、突然のことにびっくりしてしまったのと、なぜ私だけがみんなから悪口を言われなければならないのかわからずパニックになりました。「なんで先生は子供だけの話し合いの時間なんて作ったんだろう、みんな仲よくしてると思ってたけど友達だと思ってたのは私だけだったんだ。」と悲しくなり誰を信じていいのかわからなくなりました。みんな敵だとも思いました。

あの時のことを思い出すと今でも辛くて気持ちが暗くなりますが、極々最近になって「そうだよな、ムカつく奴だったよな~」とようやく冷静に捉えることができるようになりました。ですから当時の私がそこまで割り切って対応することなんかできるはずもなく、しばらくの間、怖くて学校に行けなくなりました。

その後、なんとか学校には行くことは出来ましたが、そんなふうにされた原因がまったくわからなかったのでその日から周りの目を気にしてビクビクしながら学校に通っていました。まったく楽しくなかったです。毎日「今日は大丈夫だった。」と家に帰ってきてから思っていたのを覚えてます。小学校6年生の冬頃だったと思います。

その後も女の子の仲間外れはなくなりませんでした。何度も何度も経験しました。される側だったり、する側だったり。不思議なもので女子同士の仲間外れブームはずっと続き、次々と対象が変わっていくんです。ほんとにささいなことで標的になります。

「なんかおかしいな」とずっと思いながら過ごしていましたが、ある日突然思ったんです。「あ、周りから何も言われなくなるくらい私が強くなって(ここでいう強くは暴力的、威圧的にという意味ですが)周りがなにも言えないくらいになればいいんだ。」と。本当に中学のころの発想とは恐ろしいものですが、あの時の私にはこれしか打開策はないなと思ってました。

そのあとは学校でも目立つ不良と呼ばれる子たちと仲良くなるようになって、今まで抑圧されていたのを開放するかのように学校での態度もどんどん悪くなり、いわゆる「不良」と呼ばれるグループに属しました。結局ここでもグループはあるわけですが、周りからも一目置かれるようになり立場も楽にはなりました。

だけど、今度は悪い仲間と一緒になって学校をサボることを覚えました。中学校3年生で私は学校にほとんど行かなくなりました。たまに昼から学校に行っては適当に過ごして帰ってくる、いつも友達の家にいて夜遅くまで遊び、家にもあまり帰っていなかったと思います。そんな中学時代でした。

不登校になったきっかけはあまり覚えていません。そのときは毎日楽しく過ごせればそれでいい、と思っていました。でも、何かが嫌だと思っていたのは確かです。仲間外れはほとんどなくなって楽にはなりましたが、今度は目立たない子たちを地味だというだけで見下す、ちょっと目立っている子を見つけては威圧的に攻撃して自分との関係で上下を付けるのが当たり前になっていました。心の中では「こんなのおかしい。やりたくない。」と思っていても友だちの手前やらないといけないと思い込んでいたんです。そんな生活も長く続くわけありません。仲良い友達ともどんどん居づらくなっていきました。

また、先生とも上手くいきませんでした。学校に行けば呼び出され、学校に行かなくなった私に担任の先生はクラスみんなの前で「あんたが来るとクラスの雰囲気が悪くなる!」と怒鳴られたこともありました。私は「テストだけは休まず受けよう。」と当時なぜか決めてテストの日だけは休まず行っていたんですが、テストの答案を返してもらう時、「あんたは成績はいいんだよね。クラスの平均点が上がるからテストは受けに来ていいよ。」と笑いながら言われたのがなんだか許せなくてテストも行くのをやめました。

私は自分で言うのも何ですが実はまじめな方だと思うんです。自分で決めて不良のグループに入ったり、先生の言うことを聞かなかったりしてましたが自分なりにそれが正しいと思っていたところもあります。自分が不良になればいじめや仲間外れを止めることができるかもしれないと思っていたし、態度が悪かったのも先生たちは正しいのか。押し付けるばかりで私たち一人一人のことなんか見てないじゃないか。という反発する思いが強く、いろんなことが許せないことが多かったからです。今思うとやり方は正しいとは思えませんが、自分自身が自分らしくありたいという気持ちをこうした行動で表していたんじゃないかと思います。

中学校3年生、進路を考えなければならなくなった時今まで先のことなんかまったく考えてなかったので急に焦りました。このままでいいはずがない、でも地元の高校に行っても何も変わる気がしないし、今の自分ならすぐにやめてしまうだろう。最初は高校には行かないで働いてみようかと思い親に言ってみましたが「高校に行かないなら働くってことだよ。それなら家からは出てってもらうよ。一人で働くってあさひが考えてるよりもずっと難しいよ。そんな簡単なことじゃない。」とズバッと言われてしまい、家から追い出されたらたぶんやっていけないだろうなと思い直しやっぱり進学だなとなんとか考え直しました。

だけど、そしたら自分はどうしたらいいものか…と実はすごく悩みました。家に北星余市の本が数冊あったんですが、ある日その本を何気なく手に取ってみた時、「あ、ここだ。ここなら大丈夫かもしれない。行ってみようかな。」と不思議と思えました。「北星余市に行きたい!」と素直には言えませんでしたが、両親には「北星余市なら行ってもいいよ。」と少し上から目線な言い方で報告したなとは思いますが、両親は二つ返事で「わかった。北星余市でやってみなさい」。と言ってくれました。それからはあっという間で、学校の先生は手続きを一切やってくれなかったので母が仕事の合間を縫ってすべての手続きをしてくれ、私はめでたく?なのかはわかりませんが北星余市に入学することができました。長くなりましたが、以上が私が北星余市に入る前の状態と入学しようと思ったきっかけです。

【地元で生活する中でどういう気持ちでいたか。北星余市に通おうと決めた時の気持ちは?不安はなかったか】

先ほども話しましたが、私は友達との付き合い方が下手でした。なにかおかしい、いやだなという悶々とした気持ちを抱えながらもそれを改善することができずにいることに日々憤りを感じながら生活していました。中学校に入って学校に行かなくなって、私には仲間は外れとか関係ないよ。と表面上ではそんなの「気にしない」「一人でも大丈夫」とふるまってはいましたが内心は「仲間はずれにされたらやだな。また傷つきたくないな。」という気持ちで毎日ビクビクしていましたね。結局自分ではどうすることもできずに流されるだけの毎日でそんな自分自身が一番いやでたまりませんでした。学校に行く意味というものがわからなくなっていたので、地元の高校に進学することに疑問を感じていました。

北星余市は周囲から勧められたわけではなく、自分で見つけ自分で行くことを決めました。北星余市に行くことを先生たちに伝えたとき、「なんで余市に行くの?」と聞かれ「行きたい高校もない。他の高校に行ってもやめてしまって何も変わらないと思うから。」という私と他の先生との会話を聞いていた担任の先生が「あんたは行ける高校がないから余市に行くんでしょ?私があんたの親だったらそんなとこ行かせられない。」と言ってきました。

そのとき自分のことだけじゃなくて親のことも否定されたような感じがして悔しくてたまりませんでした。必ず「北星余市に行ってよかった。間違ってなかった」と周りに言わせてやる。という強い気持ちに変わりました。でも今思えば当時世間一般では私のような選択をする子供は少なかっただろうし、とても危なっかしく見えていたんでしょうね。だから、私が北星余市を選んだ時、「わかった。頑張りなさい。」と気持ちを尊重して受け止めてくれた両親には感謝しています。

北星余市に行くことに不安はほとんどありませんでした。先の不安を考えてもしょうがない。今の生活からの解放されるんだという期待が強かったと思いますし、深く考えず行ってしまったらなるようになる。とどこか楽観的な気持ちでいました。自分自身で北星余市を選んだこともありますが、行くと決めた以上それが必然で、いろいろ悩んでもしょうがないなと思っていました。それが最善の道なんだなと思っていたんだと思います。だから不安も後悔もなくすんなり入学することができました。

【入学してすぐのこと。(慣れない中で大変だったか?)】

地元から離れ寮生活も始まりました。入学してすぐは慣れない寮生活に戸惑いも多くありました。礼儀もなにもわからない私に先輩や、寮のおじさん・おばさんは根気強く人との付き合い方、礼儀、社会のルールを教えてくれました。相当大変だったと思います。でもそのおかげで寮生活を通して学校以上に人との付き合い方を先輩後輩、同級生との人間関係を教えてもらうことができたと思います。また、寮では同級生、寮のおじさん、おばさんは私の第二の両親です。本当にお世話になりました。

【北星余市で生活し慣れてゆく中で、自分の生活や感じ方・考え方などが入学当初からなにか変わったということ】


北星余市には地元も年齢も違う同級生がたくさん入学してきます。また、不良だった人、進学校を辞めた人、いじめ、不登校、引きこもりを経験してきた人など境遇は様々です。最初に教室に入った時、こんな全然タイプの違う人ばっかりで大丈夫なんだろうか…と思いました。

入学して最初に「いじめは絶対に許さない!」と担任の先生が自己紹介の時に言っていたのがとても印象に残っています。北星余市では私が一番嫌だった仲間外れや人との関係に上下を付けるようなことは全くありませんでした。

意見の食い違いからぶつかることはありましたが、それでも自分自身でぶつかっていくことで最後には相手の気持ちや意見を自分とは違っていても認めることができました。また、勇気を出して自分の気持ちを正直に伝えることで相手にも認めてもらうことができるんだと思えることができました。みんな違うのは当たり前、だけどそれを差別し排除するのではなく認め合うこと、人として一人一人を尊重することが大切だということだったんだなと北星余市での3年間の生活の中で実感していきました。

北星余市には宿泊研修、強歩遠足、秋には学祭、体育祭、他にも様々な行事があります。ひとつひとつの行事は大変なことも多いですがクラス全員でイベントに取り組み、ぶつかり合いながらみんなで乗り越えていくことで自分と違う相手を認める力がついてくるのだと思います。

北星余市での生活は常に全力疾走だったかなと思います。北星余市での生活は楽しいことばかりではなく、自分の心に素直に人とぶつかることもあるので楽しいことばかりではなく、つらいと思うこともありました。でも、北星余市を選んで後悔したことは一度もありません。

北星余市での様々な経験が今の私に繋がっていると、そんなふうに感じています。今思えば北星余市で過ごした一日一日はとても濃厚で私の人生において一番人間らしく暮らしていたんじゃないかと思うほどです。北星余市では「自分らしくいていいんだ、いろんな人もいるけど一人ひとりが一生懸命に考え今を生きているんだ。」という自分を認めることと人間性を否定せずそれぞれの個性を認めることができるように私自身変わることができたと思います。 

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