2017年3月14日火曜日

人類史の新しい発見にワクワク

「人類がどう進化してきたのか」「人類は世界にどのように広がってきたのか」「日本人はどこからやってきたのか」、そんなワクワクするようなことがさまざまな発見によってわかってきています。人類史の新しい発見を報じる新聞記事の切り抜き帳です。

ルーツは南方にあり? 石垣島白保竿根田原洞穴遺跡㊦
DNA分析じわり解明


「しんぶん赤旗」2017.3.6付

前回に続いて、沖縄県石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡で発見された多数の旧石器時代の人骨について、これまでにわかってきたことを紹介します。

2017年2月20日月曜日

小学校から英語を教える「英語熱」をどう見るか 『英語の帝国 ある島国の言語の1500年史』を読んで

以前、「英語重視ばかりでは」という記事を読んで  私もヘンだなと感じていましたという投稿をしたのですが、この本を読んで、問題意識を深めることができました。

『英語の帝国 ある島国の言語の1500年史』
「終章 過去を見据えて未来を展望する」抜粋学習ノート

「英語の帝国」としての現代日本
「英語の帝国」とは何だったのか。いままでの叙述を振り返ると、英語は中世のイングランドからウェールズ、スコツトランド・アイルランドのプリテン諸島ヘ、ついで、近代になると、海を趣えて、アメリカなどのプリテン帝国ヘ広がり、19世紀には、ブリテン帝国の中でもとくにインド·アフリカにわたった。さらには文字通りの「膨張する円」として世界中に拡大し、いまでも膨張し統けている。

この本は英語がどのように世界に拡散していったのか、そして今も拡散しているのかを丁寧に後づけている本であるといえる。127㌻のモデル図がわかりやすい。英語の初期バージョンの円→中核の円→外郭の円→膨張する円と拡大してきたが示されている。


2017年2月3日金曜日

『貧困世代 社会の監獄に閉じ込められた若者たち』を読んで

藤田孝典『貧困世代』(講談社現代新書)をきのう読み終えました。ショックでした。サブタイトルが「社会の監獄に閉じ込められた若者たち」となっていますが、この表現が誇張でもなんでもなく、現代の若者たちの置かれた状況を的確に表現していると知ったからです。


もう20年ほど前のこと、今は亡き父が私に向かって言いました。「お前たちは大変だなあ」って。そのころは、ちょうど年金の支給開始年齢が60歳から65歳に引き上げられることが決まったころで、私たちの世代の暮らしのことを「大変だなあ」と言ったのです。

2017年1月27日金曜日

函館市の亀田地区の公共施設統合について⑥

2週間ほど前に「亀田地区の統合施設」についての紺谷克孝議員の6月の一般質問を紹介しましたが、今回は3か月後、12月の一般質問の内容を紹介します。

亀田地区の統合施設について
2016年9月14日 定例市議会紺谷克孝議員(日本共産党)の一般質問

●紺谷克孝議員の質問
大綱3点目の亀田地区の統合施設について、お聞きします。ことしの3月に基本計画が決定となり、その進捗状況をお聞かせ願います。

2017年1月24日火曜日

韓国ドラマでハングル学習(8) ハングルの子音字をイニシャルとして使う?

下のテレビ画面。「屋根部屋のプリンス」という韓国ドラマの一場面です。朝鮮時代と現代を行き来するという、何か幕末と現代を行き来する「JIN 仁」と似ているようなドラマなのですが、そのストーリーの中で出てくる似顔絵と描いた人のサインです。「E.O」と書かれています。これを見ていて「変だな」と思う人もいると思います。わたしもそうでした。

母とのドライブと釧路の思い出と桜木紫乃の小説と

去年の秋のことです。週に1度、私は母と買物をするのですが、季節もいいし天気もよいので、買い物のあと、母を車に乗せて、函館市近郊の茂辺地川のサケを見て、新しくできた木古内の道の駅に行くことになりました。

自動車専用道路から見える当別(北斗市)の円山を見て「あれは帽子山かい?」、セメント工場の煙を見て「あれは十条製紙かい?」と聞く母に、私は「また進んだなあ」と思いました。「帽子山」というのは、釧路近郊のたしか川湯温泉の方の山のこと、十条製紙(今は名前が変わっていると思うけど)は釧路市内の製紙工場のこと。母は函館と昔住んでいた釧路の区別が付かなくなってきているのでした。

2017年1月23日月曜日

「ら抜き言葉」について考える

何年も前のことだったのですが、うちの事務所の若者が、小規模なある集会で報告することがありました。話が終わってから年配の方が若者に「『見れる』は『ら抜き言葉』と言って間違いなので注意した方がいいですよ」と言ったんですが、私は口を挟まなかったんですが、ちょっと嫌な感じできいていました。

2017年1月15日日曜日

マレーシア語の先生は土木を学ぶ女子留学生

ふるる函館(函館市青少年研修センター)の企画、地球まるごとシリーズ第3期多言語講座のマレーシア語講座を受講してきました。

会場がわが家からは遠く雪道も心配だったので早めに家を出て会場に一番乗り。受付を済ますとスカーフみたいのをかぶってニコニコしている若い女性が講師の先生でした。


聞いてみると、函館高専の留学生とか。土木を学んでいるそうです。日本に来て3年、流暢に日本語を話します。「日本語上手ですね」というと、首を横に振りながら「日本語はうしろ(語尾?)がむずかしくて最初は全然わからなかった」そうです。

函館市の亀田地区の公共施設統合について⑤函館市の図書館機能のあり方

私はこれまで函館市の亀田地区の公共施設の統合について何度か書いてきましたが、紺谷克孝議員からこのこととも関連した「市の図書館機能のあり方」についての市議会一般質問の会議録をもらいましたので紹介したいと思います。

2016年6月23日 定例市議会一般質問
市の図書館機能のあり方について 紺谷克孝(日本共産党)議員

●紺谷克孝議員の質問
大綱1番目は、市の図書館機能のあり方についてでございます。その一つは、中央図書館を中心とした図書館及び地区図書室などの本来のあり方について質問をいたします。

函館市の図書館は、昨年の4月に中央図書館が指定管理者の管理となり、図書館そのものの運営が民間に任されるということになっています。また、地区図書室が統合計画の中でどう継承されていくのかが、市民の中でも今、議論が始まっています。

図書館とは、住民の誰もが気軽に知りたいことや学びたいことが必要となったとき、その必要なことに対して資料・情報を提供し、その手助けをする機関です。したがって、図書館は、常に情報収集して整理し、住民の要求に十分応えることができるよう準備をすることが求められています。

2017年1月3日火曜日

韓国ドラマでハングル学習(7)「本当に良い時代」に出てくる慶州方言

BSで放映された「本当に良い時代(참 좋은 시절)」(全50回)は、韓国東部の慶州(キョンジュ 경주)が舞台のドラマです。慶州の大家族に次々に起こる難題、それをひとつひとつ解決しながら、家族のひとりひとりが成長していく心温まるストーリーが展開されていきます。最終回の録画を先日見て、ほぼハッピーエンドといってもいい結末にホッとしたところです。

慶州という都市ですが、韓国の慶尚北道にある古都で新羅(シルラ 신라)の都があったそうです。ドラマのオープニングで慶州の町や、登場人物と関係のない市民の生活が映し出されれていて印象的です。

さてここからが本題の慶州方言(慶尚道方言)についてです。このドラマの中で話されている方言は、ドラマのストーリーの中でも話題になっています。例えば4人のカン家のきょうだいの長男、カン・ドンタクは俳優なのですが、その方言ゆえになかなか俳優として芽が出ないなどです。

このドラマの方言は、私のようなハングル初級者でも、言っている内容はわからなくとも、ソウルの言葉とは全然ちがうことがわかります。李翊燮・李相億・蔡琬著「韓国語概説」(大修館書店)を参考にしながら慶尚道方言の特徴をみていきたいと思います。

1.慶尚道方言には独特のアクセントがある

ドラマで話される慶州の言葉には、独特のアクセントというか、イントネーションというかがあり、ソウルの言葉とは全然違うことがわかります。「韓国語概説」ではこれを「声調」と呼んでいます。「声調」というと中国の「声調」が思い出されますが、日本語の高低アクセントに近いもののように思われます。

2016年12月16日金曜日

北星余市高校教育相談会 わが娘もパネルディスカッションのパネラーに


12月14日付の「しんぶん赤旗」東北・北海道のページに「北星余市高校 存続へ運動続く 閉校の危機救え、地域住民ひとつに」という記事が載っていました。存続運動の一環として全国各地で教育相談会などが開催されていることが紹介されています。(存続の危機がない時でもやっていましたが・・・)


私の住んでいる函館では、10月22日に北星余市高校と函館のPTA(パドレスの会)の共催で行われ、卒業生でもある私の娘がパネルディスカッションのパネラーとして、自分の思いを語りました。親が言うのもなんですが、よくまとまったいい発言だったと思います。本人の了承を得たので、娘が書いた原稿を紹介したいと思います。

2016年12月15日木曜日

韓国ドラマでハングル学習(6)「ホグの愛」 多義語 쓰다 の役割

11月に受けた3度目のハングル検定3級は結果待ちです。9月10月にかけて今度は自分でも勉強した方だと思います。合否はまだわかりませんが、どちらにしてもギリギリかなと思っています。

久しぶりの「韓国ドラマでハングル学習」です。「ホグの愛」を見ました。心温まるストーリーでしかもハッピーエンド、心が洗われました。

さてドラマのストーリー展開で、韓国語の多義語というか、ひとつの単語なのに多くの意味を持っている言葉が小道具のように面白い役割を果たしているなあと思いました。

その単語は「쓰다」(スダ)という動詞で、辞書を引くと、①使う、②書く、③(帽子などを)かぶる、④苦い(この場合形容詞)となっています。

2016年10月21日金曜日

茂辺地川のサケ、「茂辺地」と「紋別」の地名の由来は同じ 

昨年(「茂辺地川のサケはサイコー」)につづき、今年も茂辺地川のサケを見てきました。

茂辺地川はあまり大きくない川なのでサケを近くで見ることができるので、数えきれないサケが遡上しているその姿が感動的です。この日(10月19日)は、観光客と思われる方々もタクシーに乗って見学に来ていました。


2016年10月12日水曜日

韓国ドラマでハングル学習(5)単語を覚える 「数える」は새다

またまた「2度目の二十歳」です。

ハ・ノラは田舎でおばあちゃんと二人っきりで暮らしていたのですが、どうしてもソウルの芸術高校でダンスをやりたくて、おばあちゃんに隠れて農家で牛糞運びのアルバイトをします。ノラはよろよろと猫車を押しますが転んで牛糞を浴びてしまいます。近くの川で身体を洗っているとおばあちゃんがあらわれ家に連れていかれます。そして大きなタライにいれられ髪を洗ってもらいます。ノラの気持ちを察したおばあちゃんは意を決していいます。

「서울 가자 ソウル ガジャ」(ソウルに行こう)

2016年10月9日日曜日

韓国ドラマでハングル学習(4)韓国語の敬語について

今日も「2度目の二十歳」から。

公証人役場?(法務事務所?)で、事実上の離婚を確認するノラとウチョル。建物の外に出て、せいせいした顔の夫のウチョルは、やっと宿題をひとつかたづけたという感じで、ノラを昼食に誘います。

ノラは「小腹がすいているときにお食べになっていたじゃないですか」。「授業があるんでしょ。車の中にソーセージがあるから途中で食べてくだい」と食事を断り、「もう行かれて」と言って、歩いて行ってしまいます。

そのやりとりの中で、ノラは「お食べになっていたじゃないですか」を「モグシジャナヨ」(먹으시잖아요)、「もう行かれて」の「行かれて」を「カショヨ」(가셔요)と言っています。

2016年10月8日土曜日

韓国ドラマでハングル学習(3)韓国語の連音化を考える

11月13日、3度目のハングル能力検定3級に挑戦します。今度はしっかり勉強してから受験しようと、NHKラジオ講座「レベルアップハングル」をノートをとりながら勉強しているところです。

ところが集中力が持続しないのです。すぐ飽きちゃて、「これも韓国語の勉強だ」と開き直ってドラマを見てしまうんですね。

最近では「2度目の二十歳」(두번째 스무살)が面白かったですね。このドラマの第1話でおもしろかったことをネタに「韓国語の連音化」について考えてみたいと思います。

2016年7月20日水曜日

『日本語を作った男 上田万年とその時代』を読んで

久々に分厚い本を読みました。500㌻を超える「日本語を作った男 上田万年とその時代」(山口謡司、集英社インターナショナル)です。

「日本語を作った?日本語なんてもともとあったじゃないか」と思ってしまいますが、明治期、日本語には標準語というものがなく、軍隊の中で隊長が「トツッギッ(突撃)!」と薩摩訛りで号令しても「今の号令、何のことか分かったかノ?」「ワダグス、分がんねがったもネ!」などと、井上ひさしが『國語元年』という戯曲で書いていたそうです。

明治時代はさらに、書き言葉と話し言葉が違っていて、おまけに仮名遣いも歴史的仮名遣いで書いた言葉と読みが一致しない状況だったんですね。

この本のタイトルに出てくる上田万年という男は、あまり知られていない人ですが、日本における言語学の草分け的な人で、言文一致の日本語を作ろうとした人物です。

この本は、だからといって上田万年の生涯や思想だけを書いているわけではなく、「日本語」に関わることをテーマに明治の日本の歴史を書いた大作といっていいかと思います。

仮名遣いをふくむ標準的な日本語が実現するのは結局は戦後に持ち越されるわけですが、石田万年という男は、言文一致の日本語、発音通りに表記する日本語をめざしていたとのこと。万年と同じ方向で文章を書いたのが夏目漱石で、言文一致の日本語に反対したのが森鴎外だったそうです。

2016年7月2日土曜日

函館市議会の議員定数について

函館市議会第2回定例会で、市議会議員の定数を5名減らすことが議会運営委員会で話し合われ、結論をみなかったことが新聞に載っていました。議員定数についてどう考えたらいいのか、以前、私が議員定数削減案に対して質疑した会議録を紹介します。

この質疑が終わったあとの採決で議員定数削減が決まりましたが、採決のあと、削減に賛成した議員2-3人から、「佳大さんの言っている通りですね。反対すべきだったかもしれませんね」とか「ヤジを言ってすみませんでした」とか声がかかりました。以下、私の質疑の大要です。

2016年6月26日日曜日

脱脂粉乳給食のあれこれ 「こども新聞」と「おもひでぽろぽろ」と「綱領教室」

毎週土曜日北海道新聞に折り込んでとどく「道新こども新聞 週刊まなぶん」に学校給食と脱脂粉乳のことが出ていました。
終戦の翌年の1946年、外国から援助された脱脂粉乳や缶詰を使った給食が始まりました。脱脂粉乳は牛乳から脂肪を抜いて粉にしたものです。これをお湯にとかして飲むのが、大切な栄養源でした。
50年代半ばには、牛乳にパンとおかずがつきました。戦後はアメリカから援助される小麦粉がたよりだったので、主食はパン。正式にご飯を使えるようになったのは76年からです。


2016年5月20日金曜日

柳広司『象は忘れない』を読んで


最近、「小説っていいなあ」と思ったのは、桜木紫乃の短編集『起終点駅』と柳広司の『象は忘れない』。これも短編集です。短編だけど連作のようになっていて、いずれも3・11の原発事故をテーマにしており、胸に迫ってくるものがありました。

本のタイトル『象は忘れない』は、内容とまったく関係がないようですが、英語のことわざからとっているそうです。「象は非常に記憶力が良く、自分の身に起きたことは決して忘れない」という意味とのこと。

ひとつひとつの作品のタイトルも内容との関係が私にはわからないのですが、「道成寺」「黒塚」「卒塔婆小町」「善知鳥」「俊寛」のタイトルは能楽の謡本からきているとのこと。

これらのことは、「しんぶん赤旗日曜版」4月10日号のインタビュー記事を読んで知りました。

この記事はよくできているので、もう少し引用してみたいとおもいます。

2016年4月17日日曜日

「貧しい若者の命を戦争で消耗する」 布施祐仁『経済的徴兵制』(集英社新書) 学習ノート

布施祐仁『経済的徴兵制』(集英社新書)を読んでわかったこと

1.「経済的徴兵制」というのは、「徴兵制」のあり方のひとつではなくて、貧乏ゆえに軍隊に志願せざるをえない「志願制」の別名だということ
序章「経済的徴兵制」の構図 「貧弱の命を「消耗」する戦争」から
「経済的な利点を餌にしてリクルートするのは、民間企業でも普通にやっていることでは?」と思う人はいるかもしれない。

2016年2月25日木曜日

やったあ 「生きる 劉連仁の物語」の著者 森越智子さんが来てくれる

今日は嬉しいことがありました。北海道学校図書館協会の平成27年度冬休み推薦図書(小学生高学年)にもなっている「生きる 劉連仁の物語」。その著者である函館在住の森越智子さんが、「(函館)赤川・北美原・石川地域9条の会」の起ち上げのあつまりに講演者として来てくれることになりました。

私たち仲間内で、「戦争法が通ってしまい自分で何ができるか考えているんだ」「地域で9条の会をつくりたいねえ」、「起ち上げの時に『生きる 劉連仁の物語』を書いた森越智子が来てくれたらなあ」なんて話していたんですが、ホントになっちゃった。

本の裏表紙にはこんな説明が書いています。
おれたちを踏みにじった人間たちに、この償いをさせなければならない。戦争がどれほど根こそぎ人間らしさを奪いつくすのか、子どもたちに伝えなければならない。
何としてもおれは生き延びよう。生き延びてさえいれば、いつの日か故郷へ帰れる日が必ず来る。
奪われ続けてきたおれの生きる意味を、生きて、生き抜くことで取り戻すのだ。
――1944年9月、日本軍により中国から連れ去られた劉連仁。過酷な炭鉱労働から逃亡し北海道の山中で13年間生き抜いた。奪われた人としての尊厳をとり戻すための孤独な闘いの物語。

森越智子さんとランチをしながら、「少ない人数でも来てください。謝礼もなしでお願いします」と図々しいお願い。彼女は「加害の歴史も子どもたちに伝えたい」と何度も繰り返し、快諾してくれました。日時も決まりました。4月16日(土)14時。詳しくはまた報告します。

2016年2月23日火曜日

知内町のあれこれ、花井やすこさん応援記④

木古内町から知内町に行くには、木古内から津軽海峡に沿って国道228号線を南下するのですが、知内町の街中を過ぎると突然西に進路をかえ山道に入っていきます。知内町小谷石と福島町岩部の間に道路がないからです。難所なんですね。西に曲がるときれいな山の景色が目に飛び込んできます。



この山々が何という山なのかぜひ知りたいところですが、地図を見ても私にはよくわかりませんでした。前から感じていたのですが、雪をかぶった山の景色はグッと立体化して美しいのです。

山々が美しく見えるこのあたりをもう少し進むと花井やすこさんの住む湯の里です。ではまた。

知内町のあれこれ、花井やすこさん応援記③

今日も知内町へ。路面の状態もよく、行き帰りの景色を楽しむことができました。

さて、木古内町と知内町の境にこんなものが建っています。「建有川寨門(たてありがわさいもん)跡」と書かれています。


拡大するとこんな感じです。どんなことが書かれているでしょうか。書き写すのは大変なので、知内町のホームページに書かれていることをそのまんま紹介します。


建有川寨門
現在も、木古内町との境界は一部、建有川になっていますが、松前藩の頃までは川の流れそのものが境界だったようです。ところが、蛇行する川の流域は、雨が降るたびに変わり境界がはっきりしないと言う不便さがありました。その為、これに因って紛争が起きないように安政3年(1856)正月に両村で取り交わした約束が、この書簡です。内容は、「例え降雨で川の流れがどの様に変わっても、お互い文句は言わない。」というもので、知内村の名主豊吉、年寄八右衛門、百姓代吉兵衛、梅吉の署名があります。
ここまでだけなら、川の2つ村境となっている川は氾濫をおこすので、それに代えて境界柱を建てたというだけの話ですが、単なる村境ではなかったんですね。
ところで、その頃幕府は蝦夷周辺へのロシヤの進出もあって、北辺警備のため安政2年蝦夷地を松前藩から取り上げ直轄統治とし、箱館奉行所を置いていますこの時、知内から乙部までの間だけは松前領として残し、他は全て幕府直轄としました松前領と幕府直轄地の接点になった建有川には警備のため寨門(砦)が設けられ、木古内側に箱館奉行所の番所、知内側に松前藩の番所があって通行人の手形、荷物の検査をしたと言われています。先の「為取替申境一札之事」はこの時、幕府領と松前領の境を明確にするために取り決めさせたものと思われています
単なる村境ではなく、幕府領と松前領の境だったんですね。興味深いです。

さてこの横には知内特産「ニラ」の看板がありました。


こんなことを楽しみながら花井やすこさんのところに向かうのです。

2016年2月17日水曜日

知内町のあれこれ、花井やすこさん応援記② 白い闇の恐怖

今日も、花井やすこさん応援のため知内町に行ってきました。3日目です。花井さんといっしょに活動するのは楽しいのですが、一番大変なのは、往復130キロの雪道の運転です。函館から函館・江差自動車道に乗り、北斗市茂辺地で降りて、そこから国道228号線を走ります。

私はもともと雪道の運転が苦手なので、冬は函館市内でしか車には乗りませんが、選挙に勝つためにはそんなことをいってられません。

雪道のスリップの危険もそうなのですが、今日は、真っ白な道路、両サイドの真っ白な雪、景色の雪が、振ってくる雪と風が舞い上げる雪煙のせいであわいを失い、形容矛盾なのですが白い闇状態で、それはそれは怖い体験をしました。これがホワイトアウトっていうやつなんですね。

さて今日の活動ですが、花井やすこさんはインフルエンザの病み上がりですのでならし運転の活動です。地元の地域を訪問し、自分の政策やプロフィールが載ったチラシを配布しながら署名のお願い。こんな感じです。


ところで花井やすこさんは、この地、知内町の湯の里地域の小中学校に通いました。一緒に訪問すると、地元のみなさんから「やすこちゃん」「やすこちゃん」と呼ばれています。

高校はお隣の町の木古内高校を卒業後、道職員となりました。数年前におかあさんの介護のために知内にもどりました。実は夫の悠明(ひろあき)さんとは、木古内高校1年生、2年生の時の同級生。そのせいかどうか、二人の会話を聞いていてわかったのですが、おたがいを「ひろあき」「やすこ」とファーストネームで呼んでいるのが、なんともほほえましいのです。


今日はこれくらいにします。ではまた―。

2016年2月15日月曜日

知内町のあれこれ、花井やすこさん応援記①

フェイスブックでは書いてきたんですが、北海道知内町議会議員選挙が3月27日投開票で行われます。

この選挙に、花井やすこさんが立候補を表明しています。日本共産党の議席が空白なので、ぜひ当選してほしいと私も微力ながら応援に通いはじめました。

函館から津軽海峡に沿って西南へ、北斗市、木古内町を過ぎると、知内町です。さらに車を走らせ、福島町に近い地域、湯の里が花井やすこさんの住んでいるところ。

知内川にかかる萩茶里(はぎちゃり)橋のたもとに3つの看板。ひとつはこれです。


「チリ・オチ(鳥居る処)。知内(川、村 しりうち)の原名。この川の近傍、鷹のなるを以てこの名あり。」と書かれています。


2つ目の看板は橋の名。萩茶里は湯の里の元の地域名です。


そして、ここは青函トンネルの出口になっています。今日も雪の中、大きなカメラを構えた人が立ってました。

そしてこの橋を越えると湯の里地域です。今日はここまで、ではまた。